いのちのバトン ~お産の教えを受け継ぐ~

助産院LunaLuna 院長 山西 朋子

第658回 平塚市倫理法人会 経営者モーニングセミナー
テーマ:『 いのちのバトン 』~お産の教えを受け継ぐ~
講話者:平塚市倫理法人会 幹事 助産院LunaLuna 院長 山西 朋子 氏

5歳の時、助産院で弟のお産に立ち会った。その時のお産婆さんに憧れたのが、助産師になろうと思ったきっかけ。近くにあった助産院と縁があり、その後も助産師への道へまっしぐらに進んだ。その時の助産師さんの勧めもあり、資格取得後は病院に勤める。

しかしそこで見た産婦人科の現場は、自分の知っている助産院とは違う光景。なんでこんなにお産が大変になってしまうのか? 十分なケアも心の準備もないまま、退院になるシステム。お母さんは嬉しさよりも不安が大きい、死にたいというお母さんもいるという。

お産はもっと幸せなものだったはず。もっと一人一人に寄り添う助産師になりたい。想いは強くなる。

次に配属になったのは、未熟時や病気などの子供を扱うNICU。そんな時偶然移転する助産院の方から、ここでやらないかと声をかけられる。こんな偶然があるだろうか? 5歳の時の想いを、ブレることなくまっすぐ道が敷かれているように、今に繋がる。ちょうど助産師になって10年、以前助産師を目指す元になった方に10年は病院で働きなさいと言われた。このタイミングだと思い、助産院を開く決心をする。

お産は倫理の学びとつながるという。明朗愛和の項にでてくる、母乳は与えれば与えるほど良く出る。これは実際にその通りだという。しかし最近は母乳の出ないお母さんも多い。それは余裕のないお産にも原因があるという。

お産のスタイルは戦前戦後で様変わりした。自宅などでお産婆さんが生活の中で行われていたお産は、病院でなければできない、危険なものとなってしまった。もちろん病院での分娩では、助かる命も増えた。病院では管理された環境で、最近は無痛分娩なども多くなっている。無痛分娩は麻酔を使うので、自然な陣痛が起きづらく、陣痛促進剤など、薬物の投与も増える。子供も出てきづらくなり、吸引分娩などどんどん大変になってくる。

丸山先生は夫婦道という書で倫理運動を始めている、そして無痛安産の書という本を残している。これは無痛分娩とは全く違う、本来のお産について書かれている。人が食事をするように、分娩は特別なものではなく日々の自然なこと。夫婦仲良く、日々の在り方が分娩の痛みを和らげる。

話はどんどん倫理とリンクしてくる。役に徹して役を超えず。家族の中でもそれぞれ役割がある。お産も役を受け入れるということ、その前に妻として、夫としての役をしっかり受け入れること。そして子供を産むのはお母さんのお役。変わることもできない自分の役。

本来の安産祈願は子供を産んで一生愛するという、覚悟をすることだという。陣痛にも意味がある。自然の仕組みに逆らうとバランスは崩れる。赤ちゃんは産まれたい時に産まれたいように生まれてくる。赤ちゃんの通る参道はとても狭い。人類の進化と同じように、赤ちゃんは羊水のなかで魚のような胎児から、狭い産道を通る中で骨盤の形に合わせてゆっくり回りながら、空気の世界に適応する。
全て自然の流れに従って動いている。それはこちらの都合でコントロール出来ることではなく、コントロールしてはいけないのだと感じる。

今後のこととして、次のチャレンジを話してくれた。茅ヶ崎で分娩を取り扱う助産院の先生から、お産やらないの? そんなに簡単なことではない。でも、今はそれに向かって動きはじめてている。助産院で出産した方々が綴ったノートには、喜びと感謝があふれていた。そこに希望を見出す。

不必要な医療で取り返しのつかないことも起きているという。いつのまにか常識になっている医療としてのお産とは違う、しあわせなお産へ。喜びのお産ができれは、喜びの育児ができる。自分と弟を取り上げてくれたお産婆さんから、バトンを受け取ったと思っている。

今日の栞の輪読は正に、十三条「反始慎終」「元を忘れず、末を乱さず」

大切な大元の部分を忘れなければ、立派な終わりを迎えられるはず。栞に書いてあることを実践することは、本来のお産につながる。倫理法人会での学びで確信を得た。

5歳の時の想いを、持ち続ける彼女のひたむきさには、神が使命を与えたとさえ感じる。私には二人の子供がいるが、正直ここまでお産に対して考えてこなかった。子供が産まれるという、大元の大切さ、そこから改めて倫理の奥深さを学びました。

専任幹事 内山 聡 記

平塚市倫理法人会 経営者モーニングセミナー
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